会津若松市の害獣駆除|市の対応・補助金・相談窓口

福島県会津若松市で、ハクビシン・アライグマ・ハチの巣・ネズミなどに困ったときに。会津若松市が駆除してくれるのか、捕獲器を貸してくれるのか、補助金はあるのかと、相談窓口・駆除業者、福島県会津若松市のオープンデータをまとめました。

会津若松市の対応 早見表

会津若松市の対応は、まだ確かめていません(順に調べて載せています)。下の「調べ方」を参考に、会津若松市の公式サイトで確かめてください。

無料で駆除補助あり貸し出し相談のみ
ハクビシン未確認

相談の受け付けと、捕獲の許可の手続きが中心です。捕獲器(箱わな)を貸し出す市や、委託業者が捕獲に来る市もあります。家の中からの追い出しや侵入口の工事は、自分か業者で行うのが一般的です。

「福島県会津若松市 ハクビシン 駆除」で探す

ハクビシンの見分け方・自分でできること

アライグマ未確認

多くの市町村が「防除実施計画」を作り、捕獲器の貸し出しや捕獲に力を入れています。講習を受けると、住民が捕獲器を置けるしくみの市もあります。

「福島県会津若松市 アライグマ 駆除」で探す

アライグマの見分け方・自分でできること

ハチ未確認

市によって「市が無料で駆除する」「業者の費用を補助する」「防護服を貸す」「業者を紹介するだけ」に分かれます。公園や道路など公共の場所の巣は、市が対応するのが一般的です。

「福島県会津若松市 ハチ 駆除」で探す

ハチの見分け方・自分でできること

ネズミ未確認

駆除は自分か業者で行うのが一般的です。殺そ剤を配る・ネズミ捕りのかごを貸す市もあります。保健所や環境衛生の課が相談先です。

「福島県会津若松市 ネズミ 駆除」で探す

ネズミの見分け方・自分でできること

コウモリ未確認

相談の受け付けが中心で、駆除は自分か業者で行うのが一般的です。

「福島県会津若松市 コウモリ 駆除」で探す

コウモリの見分け方・自分でできること

イタチ未確認

相談の受け付けと、捕獲の許可の手続きが中心です。

「福島県会津若松市 イタチ 駆除」で探す

イタチの見分け方・自分でできること

イノシシ未確認

農林の課が窓口で、防護柵の補助、猟友会などによる捕獲(鳥獣被害対策実施隊)、捕獲の許可の手続きなどを行っています。

「福島県会津若松市 イノシシ 駆除」で探す

イノシシの見分け方・自分でできること

シカ未確認

農林の課が窓口で、防護柵の補助や、猟友会などによる捕獲を行っています。

「福島県会津若松市 シカ 駆除」で探す

シカの見分け方・自分でできること

サル未確認

農林の課が窓口で、追い払い(花火・犬など)、防護柵の補助、捕獲を行っています。出没情報を出している市もあります。

「福島県会津若松市 サル 駆除」で探す

サルの見分け方・自分でできること

カラス未確認

ごみ集積所のネットの貸し出し・補助、公共の場所の巣の撤去、相談の受け付けなどがあります。

「福島県会津若松市 カラス 駆除」で探す

カラスの見分け方・自分でできること

市の対応の調べ方

  1. 公式サイトで「ハチ」「ハクビシン」「有害鳥獣」などと検索する
  2. ハチ・ネズミは環境・衛生の課、ハクビシン・アライグマ・イノシシは環境か農林の課が担当のことが多い
  3. 電話では「どこにいるか」「何の動物か」「いつから困っているか」を伝える

会津若松市の補助金・支援制度

会津若松市の補助金は、まだ確かめていません。

よくある補助:スズメバチの巣の駆除費用の一部、農作物を守る柵(電気柵・ワイヤーメッシュ)の費用、ごみ集積所のネット。多くは工事や駆除の前に申し込みが要ります。全国の補助金の一覧

会津若松市の相談窓口

窓口の課は、まだ確かめていません。福島県会津若松市の代表電話か公式サイトで「害獣」「有害鳥獣」「ハチの巣」の担当の課を聞いてください。

会津若松市の駆除業者

会津若松市の駆除業者は、まだ掲載がありません。

業者の方の掲載のお申し込み頼んでよかった業者を紹介する

業者に頼むときの3つのポイント

  1. 見積もりは2〜3社から:現地を見てから金額を出してもらい、追加料金の条件を確かめる
  2. 市の補助の対象か:補助があるときは、指定の業者か・先に申し込みが要るかを確かめる
  3. 捕獲の許可:ハクビシン・アライグマなどを捕まえるときは、許可を取って作業するかを確かめる

会津若松市のオープンデータの地図

福島県会津若松市が公開しているオープンデータから、鳥獣・害虫の情報、動物が出やすい場所、もしものときの相談先(医療機関・AED など)を地図にまとめました。

動物が出やすい場所143件 ・ 公園・緑地・農地・直売所・河川など、すみかやえさ場になりやすい場所
  • 名子屋町児童公園
  • 住吉児童公園
  • 中央児童公園
  • つばくろ公園
  • 諏訪公園
  • 小田垣公園
  • 駅前公園
  • 薬師公園
  • 七日町公園
  • 材木町公園
  • 緑町公園
  • 金川町公園
  • 大町中央公園
  • 大町白虎公園
  • 日新町公園
  • 大川幼児公園
  • 居合1号公園
  • 石堂町公園
  • 黒岩公園
  • 城西町公園
  • 愛宕山公園
  • 千石さくら公園
  • 飯盛1号公園
  • 松長1号公園
  • 松長2号公園
  • 西栄町公園
  • 石高公園
  • 松長3号公園
  • 松長4号公園
  • つるかめ公園
  • さつき美咲公園
  • 五月町わんぱく公園
  • 中央公園
  • 昭和公園
  • さくら公園
  • 亀公園
  • 高塚公園
  • 千石東の杜公園
  • 東台公園
  • 水季の里公園

ほか 103件(地図に出ています)

出典:福島県会津若松市「072028_福島県_会津若松市_公園・スポーツ施設」(CC BY)、福島県会津若松市「推奨データセット05:観光施設一覧」(CC BY 4.0)、福島県会津若松市「会津若松市内の観光史跡情報」(CC BY)、福島県会津若松市「自治体標準オープンデータセット13:公衆トイレ一覧」(CC BY)、福島県会津若松市「自治体標準オープンデータセット03:指定緊急避難場所一覧」(CC BY)を加工して作成

もしものときの相談先96件 ・ 刺されたり、かまれたりしたときの医療機関・保健所・AED・避難所など
  • 会津若松警察署公衆トイレ
  • 会津若松警察署一箕交番公衆トイレ
  • 会津若松警察署駅前交番公衆トイレ
  • 会津若松警察署大戸駐在所公衆トイレ
  • 会津若松警察署河東駐在所公衆トイレ
  • 会津若松警察署北会津駐在所公衆トイレ
  • 会津若松警察署栄町交番公衆トイレ
  • 会津若松警察署城前交番公衆トイレ
  • 会津若松警察署城西交番公衆トイレ
  • 会津若松警察署七日町交番公衆トイレ
  • 会津若松警察署湊駐在所公衆トイレ
  • 会津若松警察署門田駐在所公衆トイレ
  • 会津若松市河東保健センター公衆トイレ
  • 会津若松市北会津保健センター公衆トイレ
  • 会津若松消防署公衆トイレ
  • 会津若松市立鶴城小学校避難所東栄町7−7
  • 会津若松市立城北小学校避難所城北町2−1
  • 会津若松市立行仁小学校避難所行仁町6−1
  • 会津若松市立城西小学校避難所川原町4−1
  • 会津若松市立謹教小学校避難所米代一丁目5−33
  • 会津若松市立日新小学校避難所日新町7−40
  • 会津若松市立湊小学校避難所湊町大字共和字上馬渡171
  • 会津若松市立一箕小学校避難所山見町 220
  • 会津若松市立松長小学校避難所一箕町松長四丁目9−2
  • 会津若松市立永和小学校避難所高野町大字上高野字村内43−1
  • 会津若松市立神指小学校避難所神指町大字高瀬字大道東108-3
  • 会津若松市立門田小学校避難所門田町大字中野字村前1−1
  • 会津若松市立城南小学校避難所門田町大字黒岩字大坪25−1
  • 会津若松市立大戸小学校避難所大戸町上三寄大豆田 116
  • 会津若松市立東山小学校避難所慶山一丁目2−1
  • 会津若松市立小金井小学校避難所門田町大字日吉字小金井48
  • 会津若松市立荒舘小学校避難所北会津町下荒井字八幡前13
  • 会津若松市立川南小学校避難所北会津町小松490-2
  • 会津若松市立河東学園小学校避難所河東町南高野字金剛田1
  • 旧赤井小学校避難所湊町大字赤井字赤井5−1
  • 旧原小学校避難所湊町大字原字新橋118
  • 旧双潟小学校避難所湊町大字静潟字宮ノ前19−1
  • 旧河東第一小学校避難所河東町広田字塩新205
  • 旧河東第二小学校避難所河東町八田字八田野127
  • 旧河東第三小学校避難所河東町大田原字村中186

ほか 56件(地図に出ています)

出典:福島県会津若松市「自治体標準オープンデータセット13:公衆トイレ一覧」(CC BY)、福島県会津若松市「自治体標準オープンデータセット03:指定緊急避難場所一覧」(CC BY)を加工して作成

まちの施設79件 ・ 公共施設など、その自治体が公開している施設の一覧
  • 戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。春と秋の年2回行われる墓前祭では、白虎隊を偲びその霊を慰める剣舞が奉納されます。
  • 会津武士道を中心とした会津の歴史、文化の伝承と発信を使命とする施設が「歴史感動ミュージアム会津武家屋敷」です。2300坪及ぶ会津藩家老西郷頼母邸はけやき・ひのき・杉材を使用した和様建築の豪華壮大な造りとなっており、表門に足を踏み入れると、そこからもうタイムスリップ、会津武士の生活が偲ばれます。他に歴史資料館、精米所、県重要文化財の陣屋や茶屋なども軒を連ね見どころ満載です。赤べこや起上り小法師の絵付けの体験コーナーもあり、弓道体験では的を射ぬくと景品をゲット出来ます。「お食事処・九曜亭」、福島・会津のいいものを集めた「郷工房・古今」へは見学せずに直接お入り頂けます。
  • 江戸時代の代表的な大名型山水庭園として国の名勝に指定されました。今から約600年前の室町時代、霊泉が湧出したこの地に、会津領主が別荘を建てたのが始まりといわれています。後に各種薬草を栽培する薬草園が設けられ、「御薬園」と呼ばれるようになりました。戊辰戦争時は、ここが新政府軍の療養所として使用されたため、戦火に巻き込まれずに往時の姿をとどめています。歴代藩主がこよなく愛した庭園で、歴史の香る癒しのひと時をお過ごし下さい。藩主も眺めた御茶屋御殿から当時の風景をしのびながら抹茶(有料)を頂くこともできます。
  • 会津藩主蒲生氏郷の茶道の恩師千利休が自害したのち、氏郷がその子千少庵を会津に招き、茶道振興のため滞在させていたときに建てた茶室。明治7年に若松城解体の際、石州流怡渓派森川善兵衛が政府に願い出て自宅に移築し、保存されていましたが、平成2年に、元の場所である鶴ヶ城内に移築復元されました。 庭園を眺めながらお茶を楽しむことが出来ます。
  • 参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。戊辰戦争の際に本営となり、白虎隊もここで命をうけて戸ノ口原戦場へと出陣していきました。茅葺きの屋根におおわれた書院づくりの建物は、国の重要文化財に指定され、御入御門、御座の間、御次の間などが当時の姿のまま残されており、さらに歴代藩主の愛用した身回り品、参勤交代の道具類、古文書なども保管されています。建物のあちらこちらには弾痕や刀傷があり、当時の戦いの痕跡をとどめています。
  • 新選組殉難の地。母成峠の戦いに敗れた新選組は、北へ向かおうとする土方歳三らと会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。このとき斎藤一は「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」(谷川史郎兵衛日記)と同意した隊士とともに会津へ残りました。明治元年(1868)年9月4日、城下に進出した新政府軍は、如来堂に立てこもる新選組を攻撃し激しい戦いを繰り広げました。このとき全員討ち死にしたとされています、実際は、斎藤一をはじめ数名が生き残りました。
  • 白虎隊の少年達も文武を学んだ藩校日新館は戊辰戦争で焼失し天文台跡が今に残る唯一の遺構です。基底12間余、台上方5間半、高さ3間半で、天文学習の観測場でした。天文学の授業でどれほど実測用に活用されたか不明ですが、冬至の日には、暦学家や天文師範などが集まって、明年の雲気候や、晴雨考を編んで官に提出しました。
  • 御神徳養蚕守護の神として広く知られ、農、工、商、諸業繁栄、交通安全守神として信仰されています。境内の紅葉は、秋になるととても鮮やかな朱色に染まり、参拝に来た観光客の心を奪います。入口から歩いて進むと石の鳥居が立っており、さらに参道の途中にも赤い鳥居があります。またその奥にも寛弘七年(1010年)に植えられたと伝えられる御神木の峰張桜があり、観光客の記念撮影スポットになっています。
  • 慶長5年(1600)会津領主上杉景勝は、鶴ヶ城の立地が山に近いことを危惧し、周囲が開けていて大川の水を利用できる神指原(こうざしはら)の地に築城を始めました。 しかし、この築城工事が徳川家康に上杉征伐の口実を与え、数ヵ月後の6月10日、家康の会津征伐が間近に迫ったことから工事は中止。神指城は工事途中のまま残され幻の城となりました。 面積は鶴ヶ城の役2倍の55ha。完成すれば奥州を代表する巨大城郭が出現するはずだった神指城ですが、現在では二の丸の一部と本丸跡をわずかに残すのみです。
  • おけいは、会津藩軍事顧問のプロシア人、ヘンリー・スネル家の子守役でした。戊辰戦争後、スネルをリーダーとする会津藩士らとともにカリフォルニアに入植しましたが、開拓に失敗、移民団は離散してしまいました。残されたおけいは、アメリカ人に引き取られましたが、熱病にかかり、19歳の短い生涯を終えました。カリフォルニア州ゴールドヒルと同様の墓が背あぶり山にたてられています。
  • 大塚山山頂に立地する全長114メートルの前方後円墳。福島県内2番目の大きさを誇っています。古墳全域が国の史跡になっており、出土品も一括して国の重要文化財に指定されています。完成時期は四世紀前半と言われています。発掘された副葬品は、東北で初めて出土されたものが多く、現在でも東北では会津大塚山古墳でしか出土していないものもあります。鶴ヶ城内の展示室では、その副葬品の一部を見ることができます。
  • この塚には、寛永12年(1635年)12月17日以降,外人バテレンなど多数の キリスト教信者が処刑されたと記されています。蒲生氏郷はレオ氏郷の洗礼名を持つキリシタン大名であったため、知行地であった若松・猪苗代・南会津郡山・三春・白岩・糖沢・二本松・福島にキリスト教が広まりました。しかし、寛永9年(1632年)会津藩15人,白河藩13人,二本松藩14人,若松藩42人のキリシタンが処刑されています。
  • 新選組副長土方歳三が滞在した宿。宇都宮城をめぐる攻防で足を負傷した土方歳三は、会津藩士秋月登之助が手配した当時格式の高かったこの宿屋に宿泊し、治療しました。このほか、1852年に吉田松陰が東北紀行の途中に宿泊しています。現在は大東銀行会津支店となっています。
  • 戊辰戦争で、柳橋付近で奮戦し戦死した娘子隊軍隊長中野竹子の碑。 昭和13年に会津若松市神指町黒川の湯川橋に建てられました。 出陣の際に薙刀に結び付けていたという辞世の句「武士(もののふ)の猛き心にくらぶれば数にも入らぬ我が身ながらも」が刻まれています。
  • 大町の会津町方伝承館の近くにあり、戊辰戦争で会津に攻めてきた新政府軍のうち若松付近で戦死した将兵を埋葬しています。1868年の戊辰戦争では会津藩だけでなく、会津に来攻した新政府軍にも多くの犠牲者がでました。戦争で亡くなった薩摩、長州、大垣、肥州、備州など150名の人々が今も静かに眠っています。
  • 古くは、不動堂と太子堂が並んでいたので 二堂村といわれています。 両堂の地名もこの二つの堂に由来しています。日本三所の不動明王と伝えられていますが、創建年代、 開山については定かでなく、 眼病に霊験あらたかで、伝説なども多く残っています。9月3日の例大祭には、夜店が並び賑わいを見せており、かつては、お籠り堂で願かけ籠りをしたり、玄如節のかけ合いなどをしたといいます。
  • 田村山古墳は全長24.85m、高さ2.15m程の前方後円墳です。1200年以上前に築かれ、東北では珍しい内行花文鏡、直刀などが出土しました。直刀は、県の重要文化財に指定されています。「古事記」に掲載された東北唯−の地名で、四道将軍伝説や坂上田村麻呂にまつわる伝説など、多くの謎を秘めています。
  • 市内河東町の西南・藤倉集落にあり、この建物の屋根は唐様の重層建築で周囲に円柱で支えた裳階がつけられ二階建てのように見えるため、「藤倉二階堂」と親しまれています。徳一大師が建てたと伝えられて現在の建造物は、室町初期から中期の作といわれています。 昭和25年国指定重要文化財・建造物に指定。
  • 今日に至る会津の姿の創設者ともいえる会津領主 蒲生氏郷 の嫡男、蒲生秀行の墓料です。蒲生秀行は蒲生氏郷と織田信長の娘とのあいだに1583年に生まれ、文禄4年(1595年)、父・氏郷が急死したために会津92万石を継いでいます。その後、豊臣秀吉の命令で宇都宮に18万石で移封されていますが、関ヶ原の合戦での功績などが徳川家康に評価されて、慶長3年(1601)再び会津60万石に復帰しています。慶長17年(1612)5月、30歳の若さでこの世を去り、この地に眠っています。県指定建造物、市指定史跡にもなっています。
  • 蒲生時代からの一等地で、上杉景勝の執政 直江兼続もここに住まいしていました。関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢に移されました。また、後に江戸時代の代表的兵学者、山鹿素行が生まれた場所でもあります。素行の誕生地を記念した碑石は地元の自然石で「山鹿素行誕生地 大正15年春 元帥伯爵東郷平八郎書」と雄渾な文字が刻まれています。素行は幕末の思想家達に与えた影響も大きく、また討ち入りで有名な赤穂義士を教育した人物でもあります。
  • 会津藩家老で三代の藩主に仕えた名宰相。34歳で家老に任じられた際、会津藩は天明の大飢饉でした。玄宰は藩主容頌に領民の救済と藩政の改革を願い出たが受け入れられず、一時病と称して辞職。その間兵学や経済について研究し、一年後復権の際に藩政の大改革「天明の改革」を提言し大きな成果をあげました。また、藩校「日新館」を創設、会津藩が文武ともに天下の雄藩となる基礎を築きました。会津藩樺太出兵の最中、61歳でこの世を去りました。「わが骨は鶴ヶ城と日新館の見えるところに埋めよ」と遺言し、墓はそれらの見渡せる小田山の山頂にあります。
  • 佐川官兵衛は天保2年(1831年)生まれ。明治10年(1877)没。文武両道に秀で、会津藩京都守護職時代には学校奉行・別選組隊長・諸生組隊長を兼ね、「鬼佐川」「鬼官兵衛と呼ばれていました。鳥羽伏見の戦いで奮戦、戊辰戦争の北越戦では会津軍指揮として、長岡藩河井継之助らと共に各地に転戦。戦後明治7年に警視庁の巡査に応募、明治10年の西南戦争には警視隊隊長として参戦し黒川村で戦死しました。この顕彰碑は平成13年に建立。西南戦争で佐川官兵衛が戦死した地である、熊本県南阿蘇村よりゆかりの大石を譲り受けて建立されたものです。
  • 洪水のとき流れつき、昆沙門洞の湧水にうかびあがっていたのを多門院中興の僧本行が拾いあげ、本堂に安置したものと伝えられています。 高さは1m程の寄木造りで、布張に漆をかけ、金箔をおいた極彩色のこの像は、江戸時代の作と推定されています。
  • 慶長5年(1600)会津領主上杉景勝は、鶴ヶ城の立地が山に近いことを危惧し、周囲が開けていて大川の水を利用できる神指原(こうざしはら)の地に築城を始めました。 しかし、この築城工事が徳川家康に上杉征伐の口実を与え、数ヵ月後の6月10日、家康の会津征伐が間近に迫ったことから工事は中止。神指城は工事途中のまま残され幻の城となりました。 面積は鶴ヶ城の約2倍の55ha。完成すれば奥州を代表する巨大城郭が出現するはずだった神指城ですが、現在では二の丸の一部と本丸跡をわずかに残すのみです。
  • あいづ総合体育館公衆トイレ
  • 会津大学短期大学部公衆トイレ
  • 会津鉄道 南若松駅公衆トイレ
  • 会津図書館公衆トイレ
  • 会津町方伝承館公衆トイレ
  • 会津労働基準監督署公衆トイレ
  • 会津若松合同庁舎公衆トイレ
  • 会津若松市一箕公民館(一箕市民センター)公衆トイレ
  • 会津若松市基幹集落センター公衆トイレ
  • 会津若松市北会津公民館公衆トイレ
  • 会津若松市北公民館(北市民センター)公衆トイレ
  • 会津若松市社会福祉協議会河東支所公衆トイレ
  • 会津若松市水道部公衆トイレ
  • 会津若松市中央公民館公衆トイレ
  • 会津若松市中央公民館神指分館公衆トイレ
  • 会津若松市東公民館(東市民センター)公衆トイレ

ほか 39件(地図に出ています)

出典:福島県会津若松市「推奨データセット05:観光施設一覧」(CC BY 4.0)、福島県会津若松市「会津若松市内の観光史跡情報」(CC BY)、福島県会津若松市「自治体標準オープンデータセット13:公衆トイレ一覧」(CC BY)を加工して作成

このページで使っているオープンデータ

上のデータを害獣駆除ナビが加工して作成しています(位置・名前の表記をそろえ、関係する項目だけを表示)。内容は各データの公開時点のものです。

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